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2016年8月15日月曜日

すーちゃんのバケットリスト(初めての月命日に)

すーちゃんが行ってしまって1ヶ月がたちました。


本当はその瞬間私は眠っていたのかもしれない。
14:40に、居眠りしてしまっていたのから飛び起きて、
すーちゃんの呼吸が止まっているのを見て、急いでマウスtoマウスで人工呼吸して、その時は脈はあるように思えたのだけれど、たぶん、一人で行ってしまっていたのだと思います。
怖がりのすーちゃん。
一人でどこかに行っちゃうなんて、怖かっただろうに。

7月3日、血液検査をした日(そしてその結果は翌日、BUN200オーバーと出た…)の夜11時のビデオが残っています。

すーちゃんが6月にそこに座っておるすばんしてた、50センチほどの高さになるボックスの上に登っていくビデオです。
突然決意したようにベッドの上で立ち上がり、登り始めたのです。
止められませんでした。(それどころかビデオまで撮ってました)
今見ると、特に三ヶ月ぴちぴちこねこのふぃーちゃんを見てるせいか、ものすごく弱って、お腹のたるんだ皮にも腹水がたまってるように見えます。

とんでもなく重いからだと見えない目で、登って座っていたのです。

どうしてもやりたいことなんだと思いました。   


それから、私はすーちゃんに「何が他にリストにある?」と聞き始めました。

他に何が、生きてるうちにやりたいことリストにあったんだろう。

自分はクラシック音楽にはまったく詳しくないのですが、すーちゃんは綺麗な静かな曲が好きでした。

思いついて、「ショーシャンクの空に」で流れる「フィガロの結婚」をiTunesでDLして、二人で何度も何度も聴いていました。
最後には飽きちゃったけど、最初曲が始まった時、ドロンとしていたすーちゃんの目が明るくなりました。

今なら、もう食べたいもの食べてもいいんだよ、と、点滴をストップしたあと、
今まであげられなかったものをあげ始めました。
それが、猫なのにこんなもの好きなのか、という
「マクドナルドの朝マックのハッシュドポテト」
「井村屋のあずきバー」(これは元気な時一回だけ、油断してたらひと舐めされてしまったことが。)

もちろん、もう何も食べてはくれませんでしたが。
匂いには反応してくれました。ひこひこ、と鼻を動かして、「やっぱりいい」という風に横になってしまっていましたが。

水だけは顔をコップに全部つけそうになりながらも飲んでいたので、お医者さんに聞いて、5%のブドウ糖溶液をあげていました。

やりたいことはなに?見ておきたい(見えなくても)ものはなに?本当はどうしたかったの?

最後の積極的行動として覚えているのは、亡くなる前日、顔を見ながらぐじぐじ泣いていたら、おでこを私のおでこにくっつけてくれたことです。
ヘッドバットというほど力はなかったですが。


今は、すーちゃんが必死に登ったボックスの上が、すーちゃんの場所になっています。

ふぃーちゃんが、ごくたまにとはいえ蹴飛ばしてしまうので、月命日を機に棚の中に安全な場所を作ろうかなとは考えていますが、

よろよろの身体で登った場所に居させてあげたい気もしています。


自宅で最後までみっちり看取ることにマイナスがあったとしたら、今、元気な姿のすーちゃんが思い出せないこと。
力が抜けてゴム人形みたいに、うっかり私が居眠りすると、寝ていた場所から転がって落ちてしまう悲しい姿しか思い出せないこと。

やりたいことをやる手伝いは出来たんだろうか。

すーちゃんは本当は、どうしたかったのだろうか。

(すーちゃん、とすーさんが混合してますが、いつも両方、加えてぷーちゃんとかぷーたとかいろいろな呼び方してました)

ものすごくまとまらないけれど、一生まとまるものでもないような気がする。


2016年8月1日月曜日

生きたかったすーさんのはなし

8月になっちゃいましたね。
7月の初め、すーさんの誕生日に、8月にはこの子は居ないんだろうなとは思ってましたが、
別の子猫を抱っこしてるとは思いませんでした。

ふぃーちゃんの方は順調、早く保護してもらってたおかげで、FIV,FeLV,猫コロナウィルス全て陰性、
土曜に一回目のワクチン打ってきました。

すーさんが、緩和ケアに反対だろうなと思った時がありました。
輸血をすればゲームチェンジャーになったかもしれないんですが、また、病院内のみでの腹膜透析も行われていたんですが、
供血猫さん不在、家族には2歳の猫がいるけれど、そこ(下の妹の家)は人間が大変でそれどころではなかったのです。(それに、家族の家に若い猫がいれば、というサジェスチョンがお医者さんからあっただけで、遠距離の妹には話していませんから、血液型が合うかどうかも全くわかりません。)

アメリカのグループにまだ報告はしていない、というか何がこんなに早い展開にしたのか判らない。
感染(緑膿菌による膀胱炎から上行感染?)がスピードを早めているんではという意見がありました。
実際、血液検査での炎症反応は高く、抗生物質は静脈点滴とともに投与されていました。しかし、腎毒性はそう高くない抗生物質であっても、多くは投与出来ませんでした。

海外のグループに幾つか参加しているおかげで、安楽死をめぐる議論にも巻き込まれました。

すーさんは生きたかったんだと代弁させてください。
胸水を抜きに病院に行ったときに、「この子やばいんじゃないでしょうか」とうっかり本猫の前で口走りました。すーさんは「違うっ」とばかりに、ぐったり寝ていた診察台の上で突然立ち上がりました。

夜中に私が床で座ったまま寝ていたときに、朝すーさんが私に抱きついていたことがありました。
酸素が足りない時も、なでてなでて、と頭ぐりぐりを繰り返していました。

苦しかったらもういいよ、とは何度も言いました。
それでも誰もの予想を超えて生き続けました。

病院怖さにパニックになってはいたけれど、昼間入院に耐えたのは意外なほどでした。ぐったりしないと点滴できないだろう、と言われていたのに、普通に座ったまま静脈点滴を受けていました。

私よりも彼が戦いたかったんだと思います。