本当はその瞬間私は眠っていたのかもしれない。
14:40に、居眠りしてしまっていたのから飛び起きて、
すーちゃんの呼吸が止まっているのを見て、急いでマウスtoマウスで人工呼吸して、その時は脈はあるように思えたのだけれど、たぶん、一人で行ってしまっていたのだと思います。
怖がりのすーちゃん。
一人でどこかに行っちゃうなんて、怖かっただろうに。
7月3日、血液検査をした日(そしてその結果は翌日、BUN200オーバーと出た…)の夜11時のビデオが残っています。
すーちゃんが6月にそこに座っておるすばんしてた、50センチほどの高さになるボックスの上に登っていくビデオです。
突然決意したようにベッドの上で立ち上がり、登り始めたのです。
止められませんでした。(それどころかビデオまで撮ってました)
今見ると、特に三ヶ月ぴちぴちこねこのふぃーちゃんを見てるせいか、ものすごく弱って、お腹のたるんだ皮にも腹水がたまってるように見えます。
とんでもなく重いからだと見えない目で、登って座っていたのです。
どうしてもやりたいことなんだと思いました。
それから、私はすーちゃんに「何が他にリストにある?」と聞き始めました。
他に何が、生きてるうちにやりたいことリストにあったんだろう。
自分はクラシック音楽にはまったく詳しくないのですが、すーちゃんは綺麗な静かな曲が好きでした。
思いついて、「ショーシャンクの空に」で流れる「フィガロの結婚」をiTunesでDLして、二人で何度も何度も聴いていました。
最後には飽きちゃったけど、最初曲が始まった時、ドロンとしていたすーちゃんの目が明るくなりました。
今なら、もう食べたいもの食べてもいいんだよ、と、点滴をストップしたあと、
今まであげられなかったものをあげ始めました。
それが、猫なのにこんなもの好きなのか、という
「マクドナルドの朝マックのハッシュドポテト」
「井村屋のあずきバー」(これは元気な時一回だけ、油断してたらひと舐めされてしまったことが。)
もちろん、もう何も食べてはくれませんでしたが。
匂いには反応してくれました。ひこひこ、と鼻を動かして、「やっぱりいい」という風に横になってしまっていましたが。
水だけは顔をコップに全部つけそうになりながらも飲んでいたので、お医者さんに聞いて、5%のブドウ糖溶液をあげていました。
やりたいことはなに?見ておきたい(見えなくても)ものはなに?本当はどうしたかったの?
最後の積極的行動として覚えているのは、亡くなる前日、顔を見ながらぐじぐじ泣いていたら、おでこを私のおでこにくっつけてくれたことです。
ヘッドバットというほど力はなかったですが。
今は、すーちゃんが必死に登ったボックスの上が、すーちゃんの場所になっています。
ふぃーちゃんが、ごくたまにとはいえ蹴飛ばしてしまうので、月命日を機に棚の中に安全な場所を作ろうかなとは考えていますが、
よろよろの身体で登った場所に居させてあげたい気もしています。
自宅で最後までみっちり看取ることにマイナスがあったとしたら、今、元気な姿のすーちゃんが思い出せないこと。
力が抜けてゴム人形みたいに、うっかり私が居眠りすると、寝ていた場所から転がって落ちてしまう悲しい姿しか思い出せないこと。
やりたいことをやる手伝いは出来たんだろうか。
すーちゃんは本当は、どうしたかったのだろうか。
(すーちゃん、とすーさんが混合してますが、いつも両方、加えてぷーちゃんとかぷーたとかいろいろな呼び方してました)
ものすごくまとまらないけれど、一生まとまるものでもないような気がする。
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