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2016年10月15日土曜日

ふぃーちゃんを探してすーさんを見つける(3回目の月命日に)

三ヶ月経ちました。 
18年以上暮らしたことを思えばまだちょっとしか経ってません。信じられないんですが。
目の前に暴れん坊のこねこ(もうそろそろ少年ねこ)がいると、自動的に面倒見るモードに入ってしまって、これはすーさんが18年以上かけて私をしつけてくれた成果でしょう。

すーさんに問題があったとしたら、いや、若い時あったんですが、なかなか爪研ぎを覚えてくれなかったことです。それでも10年ぐらい前には覚えてくれたんですが。
ふぃーちゃんはやって来た日に、すーさんのお下がりの段ボール爪研ぎでちっこい爪研いでくれて、こんなちっこい子でも覚えるんだなあとびっくりしました。

さて。

涼しくなってきたので、ふぃーちゃんは温度高めのロフトを占領してます。
すーさんには、17歳の夏から上るのをやめてもらったんですが、(暑過ぎて心配で。ちなみにハシゴにシャワーカーテンを巻くという大雑把な方法でやめてもらいました。ラストに一回、「のぼれるけどあえてのぼらないんだからね」とばかりに、シャワーカーテンの中をぐりぐりのぼって見せてましたが。)

今ふぃーちゃんを探しにハシゴをのぼると、
壁の隅々まで引っかき傷が…
いる間は気がつかなかったところにすーさんの引っかき傷があります。
こんなとこ上ってたんだなあ。
現行犯なら怒っただろうけど、今はなんか凄いなあ、としみじみ見てしまいます。(ち、賃貸だけど。)

しかも、小さい傷なのに妙に鮮やかで、「意地でも忘れさせねえぜ」ってとこなのかなあ。

大丈夫、無理矢理忘れろと言われたって忘れないから。

先代亡くして四日で二代目猫を迎えてしまった私はペットロスを体験しているのかどうなんだろうかとちと悩むんですが、

実は生きているときから意識していたんですが、すーさんが生きてる時からすでにペットロスのような状態になってたと思います。
今iPhoneからでリンク付けられないんですが、そういうことはあるというのを腎不全猫参考サイトで見て、まさにこの状態だなあと思ってました。
何というか、最後の数日間、身体的には死なないのに一緒に死に向かっていくような感じでした。

すーさんの寝てるベッドの横でibooksで読んでいた本がありまして、


この方(テキサス州の死刑囚弁護士&ヒューストン大学法学部教授)の本は高い専門書以外は全部読んでるんですが、これも何度か読んだあとすーさんの横で読み返してたのです。 
この本は、義理の父、クライアントの一人、長年暮らした犬、が死を迎えた時のことが書かれたもので、

引用できないから読んだ人向けになっちゃうんですが、今でも、ふぃーちゃんを見て最後の一ページを時々思い出します。
ある程度引用&むやみな訳するしかないか…私の言葉で原作を汚しちゃいかんとは思いますが、

生きているものと死んでしまったものを何よりも大きく隔てるのは、私にはすーさんにできなかったことをふぃーちゃんにやり直すチャンスがまだある、ということなんです。
(いやこれは単純化した解釈ですが。)

すーさん自身には(そして私とすーさんの間にも)もうそのチャンスはないけれど。

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